東京地方裁判所 平成10年(ワ)13118号 判決 2000年9月28日
原告
甲野一郎
右訴訟代理人弁護士
守川幸男
同
白井幸男
被告
廣瀬邦哉
右訴訟代理人弁護士
関内壮一郎
同
渡辺務
同
山本眞弓
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告は、京成電鉄株式会社に対して、一五億円及びこれに対する平成一〇年六月二五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、被告が、京成電鉄株式会社の不動産部門の責任者として専務取締役開発本部長の地位にあった当時、京成電鉄の静岡県東伊豆町熱川所在の土地購入の意思決定に関与したことが、被告の京成電鉄取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反しており、これにより京成電鉄に損害を与えたとして、京成電鉄の株主である原告が被告に対し、京成電鉄への損害賠償を求める株主代表訴訟である。
第三 争いのない事実
京成電鉄は、鉄道、自動車による一般運送業、土地建物の売買及び賃貸業などを目的とする株式会社である。京成電鉄は、関東大手私鉄の一社で、東京証券取引所第一部に上場する企業であり、鉄道事業・自動車事業(バス事業)のほかに、不動産事業(戸建住宅・宅地・マンション等の販売、ビル・商業施設等の不動産の賃貸)を一つの柱としている。被告は、昭和六三年六月二九日から、専務取締役開発本部長として京成電鉄の不動産部門の責任者の地位にあり、平成三年六月二七日から代表取締役副社長となったが、引き続き平成四年六月まで開発本部長の地位にあった。被告は、開発本部長であった当時、京成電鉄のグループ会社である京成不動産株式会社の代表取締役会長でもあった。
京成電鉄は、被告が開発本部長であった当時、京成不動産から紹介された伊豆急行線伊豆熱川駅から徒歩二分の場所に位置する静岡県賀茂郡東伊豆町奈良本字温泉之上所在の土地をリゾート開発を目的として購入することととし、平成元年六月二二日に同所<番地略>の宅地ほか四筆の土地(合計実測面積2650.9平方メートル)を代金九億六二二七万六七〇〇円で、平成二年二月六日に同所<番地略>の宅地ほか三筆の土地(合計実測面積1290.4四平方メートル)を代金六億一二八四万三二二〇円で、平成三年一一月二六日に同所<番地略>の山林ほか三筆の土地(合計実測面積395.9五平方メートル)を代金三〇二八万三〇〇〇円で、それぞれ購入した(以下これらの土地を「本件土地」という。)。被告は、開発本部長として、京成電鉄の本件土地購入の意思決定にいずれも関与した。
原告は、昭和三一年四月一日に京成電鉄に入社し、昭和五九年三月一六日から開発本部開発営業部用地担当課長、平成元年七月一日から同部次長となり、平成二年六月に京成興業株式会社に出向したが、京成電鉄が最初に本件土地の購入を決定した当時、開発本部長を務める被告の下で開発本部開発営業部用地担当課長として、本件土地の購入に関与した。京成電鉄の株主でもある原告は、本件土地は今後とも有効利用の見通しはなく、現在その時価は大幅に下落している状態にあり、社内での十分な協議、検討もなく被告が実質的に独断専行し、さらに十分な事前調査もなく、結局有効利用の見通しもないまま京成電鉄に本件土地を購入させた被告の行為は、取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反するとして、京成電鉄に対して被告の責任を追及する訴えを提起するように平成一〇年二月二七日到達の書面で請求したが、京成電鉄は、平成一〇年三月二七日付の文書をもって原告に対し、訴えを提起しない旨回答した。
第四 争点
京成電鉄が本件土地購入の意思決定をするに当たって、被告に取締役としての善管注意義務・忠実義務に違反する行為があったかどうか。
第五 争点に関する当事者の主張
一 原告の主張
被告は、京成電鉄専務取締役開発本部長の地位にあった当時、その決裁によって一定額の範囲内の土地の買収権限があったことを奇貨として、社内の形式的な手続はともかく、社内での十分な協議、検討もなく被告が実質的に独断専行し、さらに、十分な事前調査もなく、結局有効利用の見通しもないまま京成電鉄に本件土地を購入させた。
本件土地の取得は、おりしも京成電鉄が昭和五二年から再建に着手し、同社の所有する不良不動産の売却による整理をほぼ終え、同社の再建の目途がついてきた時期のものであって、開発本部会議(小委員会)においても原告をはじめとする反対意見があったのを無視し、社内での十分な協議、検討を行わず、その当時被告が代表取締役会長をしていた京成不動産株式会社の仲介手数料等を得るという不当な目的のために行われたものである。
本件土地の購入に至る経過は次のとおりである。
平成元年五月一六日、用地担当課長であった原告を含む開発本部員五名は、被告に命じられて本件土地の現地調査に行った。現地は一部駐車場があり、見晴らしはよかったが、このときは建物建築に関する公的規制の有無や東伊豆町の指導要綱等に関する調査と、有効利用の可能性に関する近隣の不動産業者や近隣住民に対する聞き取り調査などは行われず、単に現地を見に行っただけであった。
この現地調査の前には、開発本部会議(小委員会)による事前検討はなく、被告が代表取締役をしていた京成不動産の社員が本件土地を被告に紹介してその購入を勧めた結果、被告が京成電鉄名義での購入を提案するに至ったものである。そして、現地には鉱泉地があるとのことで、原告らは現地調査の際、その存在を確認した。
平成元年五月二五日に、開発本部会議(小委員会)が開かれ、被告は現地を見たこともないのに本件土地の購入を提案した。これに対して原告と開発本部計画管理課の吉田正紘課長が、京成電鉄がリゾート開発で失敗して再建途上にあり、同じ過ちを繰り返すことになる、本件土地は傾斜地であって見晴らしはよいものの遠隔地であり、有効利用の見通しがあるかどうか疑問である、利用計画の概要すら不明である、などとしてこれに反対した。また、賛成意見はなかった。ところが被告は、本来は、本件土地の購入は、たとえ部下がそれを上申しても被告においてこれに反対すべきものであったのに、「そんな弱気じゃだめだ。」、「何でもいいから買っておけ。」として、具体的な利用計画も立てないまま、結局平成元年六月一日の会議で強引に購入を決定してしまったのである。その後、第一次購入を皮切りに、第二次購入、第三次購入が行われた。
また、事前調査も全く不十分であった。本件土地は南北にかけて約二〇メートルの高低差のある土地であるが、建物建築に関する公的規制の有無等や東伊豆町の指導要綱等に関する調査、有効利用の可能性に関する同町役場の都市整備課や近隣の不動産業者、近隣住民等に対する聞き取り調査や打診等は、十分に行われなかった。本来、京成電鉄、とりわけ被告において行うべき義務は次のとおりであったが、本件土地の取得前にこのような努力は十分に行われなかった。
東伊豆町の開発行為等の適正化に関する指導要綱に基づいて、①建物の高さの1.5倍範囲の家屋の所有者等の建築についての同意、②本件土地の南側道路は県道であり、その南側にはいくつかの民有地と、そのさらに南側には二級河川濁川があって海(相模湾)に連なるところ、本件土地上に建築する建物から流す排水については、まず、県道と民有地の中に排水施設を通すための静岡県と各住民の同意、この濁川に連なる排水路その他の排水施設が開発区域及びその周辺地域に溢水、汚水等による被害が生じないような構造及び能力で適当に配置されるように設置すること、具体的には、その流下能力を検討し、これが不足する場合の不足部分の河川改修、および調整池若しくは遊水池の設置、この海に漁業権を有する稲取漁業協同組合の同意、が必要である。
なお、これらの同意や許可は、法律的には本件土地の取得後に行うことになるが、その見通しがあるのかないのかについて、あらかじめ、東伊豆町役場の都市整備課や近隣の不動産業者、静岡県の担当部署、近隣住民、稲取漁業協同組合等に対する聞き取り調査や打診を行うべきところ、京成電鉄、とりわけ被告は、自ら又は京成電鉄の開発本部の構成員に指示してこれらの努力を行うことはほとんどなかった。
その結果、本件土地(ただし、その後ごく一部の土地を分筆して安い価格で売却した土地を除く。)は現在まで全く有効利用されずに、一部についてはその当時から駐車場であり、これをこのまま駐車場として今日まで使用しているものの、大部分は荒れ地のまま放置され、今後とも有効利用の見通しはない。さらに、バブルの崩壊によって本件土地の時価は下落が予測できるものであったが、実際にその時価は大幅に下落している状態にある。
被告の本件土地の強引で見通しの全くない購入行為は、取締役としての京成電鉄に対する善管注意義務(商法二五四条三項、民法六四四条)及び忠実義務(商法二五四条の三)に違反し、被告は商法二六六条一項五号に基づき、京成電鉄が被った損害を賠償する責任を負う。
京成電鉄は、本件土地の購入価格(合計一六億〇五四〇万二九二〇円)、仲介手数料及び購入のための借入金に対する金利として、二〇億円を超える資金を投じており、他方、現在の本件土地の時価は五億円にも満たず、本件土地の一部を分筆の上売却した部分の価格は取るに足らないから、これを織り込んでも、結局、被告は京成電鉄に少なくとも一五億円の損害を被らせたことになる。
二 被告の主張
被告は、本件土地が京成電鉄の不動産事業にとって必要であり、かつ、当該物件の特性についても十分に調査して適当と判断したから購入の意思決定に関与したものである。また本件土地購入は、被告一人ではなく、京成電鉄の従業員の十分な議論を経たうえ、代表取締役社長を含めた禀議を受けるなど京成電鉄社内の適式な手続を経て行われたもので、被告が独断で決定したものでもない。
京成電鉄は不動産事業を一つの柱として成り立っているが、その不動産事業は、単なる土地の取得と売却を繰り返すようなものではなく、宅地の造成・建物の建築などにより付加価値を加えて販売・賃貸することが基本である。しかも、京成電鉄が鉄道・バスという公共交通機関を運営するという使命を持った上場企業であることを考えた場合、会社全体として長期かつ安定的な経営が求められることは当然であり、そのため、不動産事業にも一定の制約が伴う。認可制の運賃体系をとる鉄道・バス事業では、コストの増加に応じて機動的に運賃を決定することはできず、赤字といって直ちにその部門を廃止することはできないから、鉄道・バス部門の赤字を補填できるものであることが求められる。
京成電鉄は、平成元年四月にGプランをスタートさせている。Gプランの内容は多岐にわたるが、不動産事業についていえば、安定収益確保のための賃貸事業の強化とともに、沿線開発のための土地の取得、スポーツ・レジャー・カルチャー産業等の新規事業を推進するための基盤の確立が掲げられている。平成元年春の時点は、京成電鉄が保有していた土地資産の多くを京成土地株式会社(京成電鉄一〇〇%出資)に移管し、不良資産を一掃した一方で、長期にわたる経営不振の間に資金不足のため優良物件の在庫も不足して、開発物件全般が少なくなっていた時期であり、復配のめども立ち、将来に向けた開発用物件を手当することが求められている時期であった。被告は、この状況を踏まえ、後に述べる種々の検討を経て、京成電鉄の不動産事業にとって必要と判断したから、本件土地の購入決定に関与したのである。
本件土地は、熱川という著名な温泉地の中にあり、伊豆急行線伊豆熱川駅から徒歩二分という交通至便な地にあり、本件土地から海や伊豆諸島が遠望できるなど眺望も良好な条件下にあって、しかも、温泉を引湯することができる地である。本件土地は傾斜地であるから、一般の宅地造成には適さないが、都市計画区域内であるものの未線引区域で前面道路の幅員を考慮しても三〇〇%の容積率が適用される地域である。この特性を考慮したとき、販売用のリゾートマンション建設が第一に検討されるし、そうでなくても、ホテルの建設、老人向け保養施設の建設などが検討されうる土地である。販売用リゾートマンションは比較的短期的利益を見込むものであるが、それができなくとも、ホテルの建設、老人向け保養施設などの建設により、長期的な利益を生む資産として開発が可能と考えられる土地といえる。本件土地を取得する基本的動機は右のような立地にある土地であったことによるものである。また、本件土地は、右特性や開発可能性から考えて、当時の京成電鉄が置かれていた立場からも取得の必要性の高い物件であったといえる。
本件土地については、とりあえずリゾートマンションの建設・販売が検討されうるものであるから次のような検討が要請されていたと考えられる。
① 本件土地は傾斜地であるが、建築基準法その他から、どのような構造の建物建設が可能か。
② 建物建設にあたり、近隣同意・日照等の補償問題など地元の近隣対策から建設は可能か。
③ かなり大規模な開発となり、温泉の引湯が予定されるから、排水の処理が可能か。
④ 土地の取得費・建物の建設費、その他の経費を考慮し、すべてのコストを考えた場合、想定できるマンション販売価格により利益を生むことができるか。
⑤ 近隣・類似のリゾートマンションの販売価格から右の想定価格が妥当か。
本件土地の取得は、京成グループ内の京成不動産から持ち込まれた案件であり、京成電鉄自体も検討を行っているが、京成不動産においても検討を行っており、その両者の資料・データから、第一次取得前に、本件土地取得の判断を行っている。
① 第一次取得予定地の広さ・地形・傾斜等を考慮し、法令上の建坪率・容積率・斜線制限などを遵守しどのような建物建設が可能か検討し、一〇階建二棟、延べ床面積二五二一坪、専有面積二〇一六坪のマンションが建設可能と判断した。
② 地元東伊豆町の開発指導要綱を取得し、地元自治体を訪問してその説明を受け、建設可能と判断した。
③ 東伊豆町役場及び静岡県下田土木事務所を訪れ、その時点で存在するU字溝に排水することはできないが、町道・県道下に排水溝を設け、施設は自治体に移管し、これらを通して川に流すことが十分に可能であることを確認した。
④ コスト計算を行い、総事業費約四八億円、総販売価格約五六億円程度で利益が見込めるものと判断した。
⑤ 近隣・類似のリゾートマンション相当数の販売データを集め、専有面積の坪単価二八〇万円程度で販売可能であるとの判断を行った。
なお、第二次、第三次の購入地は、第一次購入地の隣接地で、一括開発を見込め、建築できる建物の面積が拡大し、共用的部分の比率が低下していわゆるスケールメリットを受けられることが動機となっている。
当時は現在と異なり不動産取引は完全な売り手市場で売り物件が持ち込まれた場合に、長期間返答を留保することはできない状況であった。しかしながら、本件ではこの短期間に右のような詳細な検討を行っている。しかも単に売主側の資料を鵜呑みにしたというものではなく、京成電鉄の従業員やグループ会社である京成不動産の従業員が再三現場に赴き、諸官庁と接触し資料を集め開発可能性や採算の検討を行っている。右検討の資料や結果は、第一次購入前に、社内の次のような各機関にかけられ、さらに検討されている。
平成元年五月二五日
開発小委員会
平成元年六月一日
開発小委員会
平成元年六月九日 禀議起案
平成元年六月一二日 経営会議
平成元年六月二一日 禀議完了
右禀議は関係部署である計画管理課・技術部・経理部の協議を経て、常務・専務(被告)・副社長二人の審議を受け、最終的に社長が平成元年六月二一日に決裁をしており、またその間の六月一二日には、当時経営再建会議と呼ばれていた常勤役員で構成する経営会議で承認されたのである。以上の検討の上で、土地購入が決定され、売買契約がなされたのである。第二次購入については、平成二年一月二九日に禀議がなされ、同月三一日に決裁され、第三次購入については、平成三年一一月六日に禀議がなされ、同月一三日に決裁されている。これに基づき第二次売買契約及び第三次売買契約がなされた。なお、第三次購入に関連して近隣の要請により本件土地の一部が売却されている。
本件土地が現在開発されていないことは事実であり、現在売却できるとしても取得額を上回ることはないものと思われる。しかし、このような現象は、不動産の販売事業を行う以上避けられないものである。特に、本件土地取得の時期である平成の初期の時点において土地価格がここまで下落することを予測することは著しく困難であった。不動産を取得しながら取得価格で処分できない例は枚挙に暇がなく、それが現在の日本経済低迷の大きな原因の一つとなっていることは公知の事実である。そしてバブル崩壊は、リゾートマンションやホテル・老人向け保養施設に対する需要の激減をもたらした。本件もその一例といえる。
本件土地取得時点においては、立地・特性はもちろんのこと、建設可能な建物の規模から、それらの販売により事業採算が見込まれるとの判断で取得の決断をしているものである。現在含み損を抱えるとはいっても、その規模は京成電鉄の不動産事業の規模からして決して大きなものではない。
以上述べてきたとおり、本件土地取得の決断にあっては、被告一人ではなく、右のような京成電鉄内部での検討を経て従業員等の意見を聞き、代表取締役社長を含めた禀議を行っているものであり、その判断過程に取締役としての忠実義務・善管注意義務違反はない。
第六 争点に関する裁判所の判断
一 要旨
京成電鉄が本件土地を購入する意思決定に被告が関与したことについて、被告の行為は、会社の業務及び経営の状況、土地購入の目的及び必要性、採算性に関する調査検討の経過などに照らし、取締役の善良な管理者としての注意義務(商法二五四条三項によって準用される民法六四四条)又は忠実義務(商法二五四条の三)に違反するものであるとは認められない。したがって、本件土地の購入により京成電鉄に何らかの損害が発生しているとしても、その損害を賠償すべき責任は被告にはない。
二 裁判所の認定した事実
前記(第三)争いのない事実に証拠及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。
1 本件土地購入当時の京成電鉄の不動産事業の方針等
京成電鉄は、鉄道、自動車による一般運送業、土地建物の売買及び賃貸業などを目的とする株式会社である。京成電鉄は、関東大手私鉄の一社で、東京証券取引所第一部に上場する企業であり、鉄道事業・自動車事業(バス事業)のほかに、不動産事業(戸建住宅・宅地・マンション等の販売、ビル・商業施設等の不動産の賃貸)を一つの柱としている。有価証券報告書(乙五)においても、副業として不動産事業の資産及び営業利益が区分計上され、平成元年三月期において、不動産事業に限っても、有形固定資産二二八億円、営業収益一一〇億円、営業利益四〇億円を計上し、全事業営業利益一三二億円のうち、約三割を不動産事業によって上げている。京成電鉄の業務組織(乙二四)においては、鉄道本部、自動車本部と並んで不動産事業部門として開発本部を置き、昭和六三年六月二九日から、専務取締役である被告が開発本部長として京成電鉄の不動産部門の責任者の地位にあった。
京成電鉄は、昭和五三年三月期以来無配となり、金融機関等の支援の下に会社再建の諸計画を実施してきたが、その中で不動産販売部門の抜本的改善策として滞留物件を京成土地に移管し、収支の均衡を図るなど、経営基盤の強化策を実施したことにより、昭和六二年度から経常損益は黒字に転換し(乙一の二四頁)、平成元年四月以降は、金融支援を返上した経営計画の実施が可能となり、平成元年四月一日から平成四年三月三一日までを実施期間とする経営計画としてGプラン(乙一)を策定した。Gプランは、「躍進と活性化計画」と名付けられ、四つの基本目標の一つとして「安定収益基盤確保のための「新事業の開発」」が掲げられ、開発事業部門の方針として「スポーツ・レジャー・カルチャー産業等新規事業を推進する」こととし、そのための不動産販売業の実行計画として「新規事業としてスポーツ健康事業等の基盤を確立していく」ことが定められた。
2 本件土地購入の目的及び購入に至る調査検討の経過
京成電鉄は、平成元年五月、京成不動産から本件土地の一部である東伊豆町奈良本字温泉之上<番地略>ほか四筆の土地買収の紹介を受けた。その際、京成不動産から用地調査報告書(乙七)、物件概要等(乙八)及び伊豆リゾートマンション販売事例(乙二七)の資料の提供を受けたが、本物件の物件概要(乙八)は、伊豆半島の中東部、温泉地熱川にあり、特急停車駅伊豆急行線伊豆熱川駅から徒歩二分に立地し、地積二六五〇平方メートル(801.6坪)の規模で南西側幅員約五メートルの県道と約四七メートル接道し、L型不整形で現況は県道と帯状に平行する形で南側から順に駐車場、石積擁壁、畑、擁壁、畑、山林(桧)の構成であり(推定構成比、駐車場約三八%三一〇坪、畑約一二%九〇坪、山林約三四%二七〇坪、擁壁部約一六%一三〇坪)、物件の高低差は約三〇メートル(内訳は、駐車場部分高低差約一メートル南東下り傾斜、石積擁壁約8.5〜9メートル、畑〇〜約一メートル、上部擁壁平均約三メートル、山林約一七〜一八メートル南下り傾斜)となっており、物件ほぼ中央擁壁上から南東方向に太平洋・伊豆七島が眺望でき、本物件西側隣地から温泉が噴出し、その給湯も付帯条件としている、というものであり、本物件の用途は、温泉付リゾートマンション(分譲)、又は温泉ホテル、シルバー療養施設等とされ、その収支については、短期的活用としては、分譲リゾートマンションとして収支見通しがあり、また、中長期的活用を考えた場合に、本物件東側隣接地の追加買収の可能性もあり、さらに収支増が期待できる、とされ、その他の事項として、マンションの平均販売単価は、本物件は全て眺望の良い南東と南向で構成されるので事例(乙二七)より坪単価二八〇万円と査定した、当然のことながら、温泉給湯条件及び実測精算条項の可否によっては、買収断念せざるを得ない場合もあり得る、とされていた。
京成電鉄では、平成元年五月一六日、開発本部の用地担当課長であった原告や技術者を含む開発本部員五名が現地を視察した(甲三四)。五月二五日、開発本部長である被告をはじめとする開発本部の課長以上の幹部が出席する会議である開発小委員会において、栗原課長から、買収理由として、①価格については周辺の取引事例が少なく定かではないが、駅より三キロメートル〜五キロメートルの別荘地が坪当たり一五〜二〇万円であり、温泉利用権付で駅前の南向高台という立地を考えると妥当なところと思われる、②周辺の分譲リゾートマンションは、昭和六三年一二月に「大京」が平均坪単価二七〇万円で即日完売しており、また、現在、「三愛不動産」がモデルルームを公開中でこれも好評である、③したがって本物件を取得し、温泉付リゾートマンションとして販売したい、との理由で、前記物件について買収金額一一億二二二四万円(坪単価一四〇万円)の買収金額で買収していく方向で検討したことの説明があったが、協議した結果、法規制等の再調査を至急実施して結論を出していくことになった(甲二九、乙九)。そこで、翌五月二六日、開発本部技術部の山本課長と伊藤が、東伊豆町役場建設課及び静岡県下田土木事務所に赴き、「東伊豆町開発行為等の適正化に関する指導要綱」その他の法規制等に関する懸念事項の聞き取り調査を担当者から行った。その結果、排水については県道部分(横断掘削)及び町道部分のいずれについても排水工事が許可される見込みがあり、これにより濁川に排水が可能であり、その他の法規制等に関してもその範囲内で開発は可能であることが確認されたが、敷地境界と建物との離隔距離及び駐車場(戸数の五〇%確保)等を検討し、試算上採算可能戸数が確保されるか検討の必要がある、と同時にコスト計画の検討も必要と思われる、なお、細部協議については図面を提出しない限り、どのような指導を受けるか現在のところ不明である、との報告(乙一一)がされた。この報告を受けて、五月三〇日に、法規制等の範囲内において建築可能な計画として、地上一〇階建て、住戸数一〇一戸(住戸専有面積66.0平方メートル、住戸専有面積合計六六六六平方メートル(2016.4坪))の建物を建築する熱川リゾートマンション計画案(乙一二)が作成され、六月一日には、この熱川リゾートマンション計画案に基づき、分譲価格を坪単価二八〇万円とすれば、八億六七六〇万円の粗利益、販売中の金利、経費を除いた純利益四億六五八四万円が見込めるとする熱川リゾートマンション事業計画案が作成された(乙一四の3)。平成元年六月一日の開発小委員会(乙一三)においては、これまでの調査結果及びこれに基づいて作成した前記の計画に基づいて、栗原課長及び山本課長から、前回の小委員会で、当物件について再調査することになっていたことの結果報告として、指導要綱、排水関係、自然公園法などの調査結果及びリゾートマンション計画の説明がされ、協議した結果、遠隔物件ではあるが、活用形態からも充分事業性が見込めるため、土地買収していくことで決定された。
3 本件土地購入の意思決定の手続
平成元年六月九日には、以上の検討結果に基づき、開発営業部用地担当の清水勝美が、社長の決裁を受けるための立案書(乙一四)を作成したが、この立案書においては、①本物件は伊豆急行線伊豆熱川駅から徒歩二分、温泉権付で分譲リゾートマンションとしての収支見通しがある、②中長期的活用を考えた場合は、隣接地の追加買収の可能性があり、さらに収益増が期待できる、③以上により、今回本物件を買収し、引き続き京成不動産を通じて隣接地の追加買収を進めたい、との事由により、京成不動産と買収代理契約を締結して、代理手数料四三〇〇万円(消費税を含む。消費税を除き売却代金の4.34%)として、本物件を九億四八四七万九〇七〇円(一平方メートル当たり三六万三〇〇〇円、実測精算あり)の価格で買収してよろしいでしょうか、との伺いが記載されていた。
この立案書は、立案責任者のほかに、立案担当部局の開発営業部用地担当課長である原告及び戸村開発営業部長が立案者となり、開発本部内の他の部局である計画管理課及び技術部並びに開発本部外の経理部との協議を経た上、中村常務、専務(被告)、副社長二名の決裁を得て、最終的に平成元年六月二一日に村田社長の決裁を受けた。なお、その間、平成元年六月一二日には、常務取締役以上の役員全員が出席する経営会議においても、報告事項として、被告から本物件を買収金額総額九億六一九二万円(坪単価一二〇万円)で買収し、今後の方針として、現時点で温泉利用権付分譲リゾートマンションとしての収支見通しはあるが、隣接地の追加買収の可能性があり、これが順調に進めばさらに収益増が期待できる、したがって、今後の開発については追加買収の進捗状況を見ながら商品企画を充分吟味し、慎重に進めたい、との内容の報告がされ、了承されている(乙一五)。
以上のとおりの京成電鉄内の意思決定を経て、京成電鉄は、平成元年六月二二日に本件土地のうち<番地略>の宅地ほか四筆の土地(合計実測面積2650.9平方メートル)を代金九億六二二七万六七〇〇円(確定測量により平方メートル当たり三六万三〇〇〇円で精算)で温泉利用権付で買収した(乙一六)。その後、いずれも隣接地を買収することにより土地の利用形態が良くなるとして、前記と同様の立案書の作成、社内の関係部局との協議、被告をはじめとする役員の決裁を経て、最終的に社長の決裁を受けるという社内の意思決定を経た上で(乙一七、二二)、京成電鉄は、平成二年二月六日に<番地略>の宅地ほか三筆の土地(合計実測面積1290.4平方メートル)を代金六億一二八四万三二二〇円で、平成三年一一月二六日に<番地略>の山林ほか三筆の土地(合計実測面積395.95平方メートル)を代金三〇二八万三〇〇〇円で、それぞれ購入し、仲介した京成不動産に対しては、それぞれ購入価格の三%相当の仲介手数料を支払った(乙一八、二〇、二一)。
4 本件土地の開発計画が断念された経緯
京成電鉄では、平成四年四月までに、本件土地上に、鉄骨鉄筋コンクリート造、地下一階、地上一〇階の共同住宅一六二戸を総事業費八四億五五〇〇万円で建築する京成熱川リゾートマンション新築工事(仮称)という名称の事業計画を策定し、平成四年四月から同年八月にかけて、地元東伊豆町関係各課との間で土地利用事業計画事前協議(乙二五)を行う一方で、平成四年七月一〇日から平成六年二月二八日にかけて、八回にわたり、近隣説明会を開催した(乙二六)。しかし、バブル経済の崩壊による不動産価格の大幅な下落により事業の採算性が見込めなくなったことから、京成電鉄では本件土地の開発を断念し、現在に至っても本件土地は開発されないままとなっている。
三 被告の責任に関する判断
前記認定の事実によれば、①本件土地の買収当時、京成電鉄では、経営計画の不動産部門における実施方針として、安定収益基盤を確保するための新規事業の開発が挙げられており、この経営計画の下においては、本件土地を購入した主たる目的であるリゾートマンション分譲は、この計画にいう新規事業の開発に含まれると解されること、②本件土地購入に当たっては、京成不動産及び京成電鉄において、近隣の販売事例及び開発要綱その他の法規制等について調査検討し、その結果に基づき、本部長である被告以下の開発本部幹部で構成された開発小委員会において、リゾートマンション建築により採算性が見込めるものと判断して購入を決定しているが、その判断の過程で判断の基礎とされた前提事実について事実の誤認はされていないこと、③開発小委員会の検討結果に基づいて、京成電鉄社内で、立案書に基づいて専務である被告のほか副社長、社長の決裁を受けて本件土地が購入されており、その間に常務取締役以上の役員で構成される経営会議においても本件土地購入の方針が被告から報告されて了承されており、このような意思決定の過程において京成電鉄の社内規定に違反した事実は認められず、また被告がことさらに自らが代表取締役会長を務める京成不動産の利益を図った事実も認められないこと、以上の事実を認めることができる。
このような認定事実を前提とすると、本件土地を購入する意思決定に関与した被告の行為は、京成電鉄の取締役としての善良な管理者としての注意義務又は忠実義務に違反するものではないというべきである。
原告は、建物建築に関する公的規制の有無等や東伊豆町の指導要綱等に関する調査、有効利用の可能性に関する同町役場の都市整備課や近隣の不動産業者、近隣住民等に対する聞き取り調査や打診等は、土地購入前に十分に行われなかった、などとして、土地購入前の調査検討が不十分であったということを被告の善管注意義務違反の根拠として主張している。しかし、土地購入前にその開発可能性、採算性等についてどの程度の調査をすればよいかは、その土地の購入の目的及び必要性、購入当時の不動産市況等の諸事情を総合的に考慮して決定すべき問題であり、前記認定のように不動産事業における新規事業の開発を基本方針としていた経営方針の下においては、本件土地購入の目的及び必要性は京成電鉄において重要なものであったと認められること、並びに弁論の全趣旨によれば、本件土地購入を決定した平成元年六月当時の不動産市況はバブル経済の中で売り手市場となっており、土地購入の判断はなるべく迅速に行うことが必要とされていたと認められること、などの事実関係を前提とすると、本件土地購入の背景となったその他の一切の事情を勘案しても、本件土地購入の意思決定の前提としてされた前記認定の調査検討が、被告の取締役としての善管注意義務違反を基礎づけるほどに不十分なものであったということはできない。原告の主張は採用することができない。
第七 結論
よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官・小林久起、裁判官・河本晶子、裁判官・松山昇平)